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福岡地方裁判所小倉支部 昭和57年(ワ)250号 判決 1986年1月29日

原告

本崎重良

被告

山本光之

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一双方の求めた裁判

一  原告

1  被告は原告に対し、金三五二万八四〇七円及びこれに対する昭和五六年一〇月八日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  被告

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

3  被告敗訴のときは担保を条件とする仮執行免脱の宣言

第二請求の原因

一  原告は昭和五六年一〇月七日午前七時五〇分頃自己所有の軽四輪貨物自動車北九州四〇い七一三七号(以下原告車という。)を運転し、北九州市八幡東区大谷一丁目三番四号交差点付近道路上を大谷インター方向から春の町方向に進行し、同交差点手前右側寄りに右折のため停車していたところ、被告運転の普通乗用自動車北九州五五ゆ五三五四号(以下被告車という。)が後方より進行して来て原告の自動車に後方より激しく追突し、原告に外傷性頸部症候群の傷害を蒙らせた。

二  原告は本件事故に因り次の通り合計四七二万八四〇七円相当の損害を蒙つた。

(1)  入院及通院治療費 一一一万五九四七円

原告は本件事故に因る前記傷害治療のため、昭和五六年一〇月七日から同年一一月三〇日迄(五五日間)長崎外科医院(北九州市門司区丸山一丁目八番一号)に入院して治療を受け、その後現在迄同医院に通院して治療を受けている。その費用は昭和五七年二月一五日迄で右の金額である。

(2)  入院雑費 三万三〇〇〇円

一日金六〇〇円として五五日分

(3)  通院交通費 九四六〇円

一回金二二〇円として四三回分

(4)  休業損害 二五二万円

原告は建築業を営む大工であるが、本件事故前一日平均二万円を下らない収入を得ていた。ところが本件事故に因り昭和五七年二月九日迄一二六日間休業を余儀なくされ、二五二万円を下らない額の得べかりし利益を失つた。

20,000円×126日=2,520,000円

(5)  慰藉料 七五万円

(6)  弁護士費用 三〇万円

原告は本件訴訟のため弁護士に対し着手金として一〇万円を支払い、報酬として金二〇万円を支払うことを約した。

三  本件事故は専ら被告の過失にもとづくものであるから、被告は原告の蒙つた前記損害金四七二万八四〇七円を賠償する義務あるところ、被告は原告からの賠償請求に応じないが、原告は自賠責保険より一二〇万円の支払を受けたので、原告は被告に対しこれを差引いた三五二万八四〇七円及びこれに対する昭和五六年一〇月八日以降完済に至る迄年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第三請求の原因に対する答弁

一  請求の原因一項の事実中、事故発生の日時・場所、原告車が停車中であつたこと、は認めるが、その余は否認する。

本件事故は、現場の道路が原・被告車の進行方向に緩やかな下り勾配となつていたため、被告車が原告車に後続して一時停止した際、被告車のサイドブレーキの効きが十分でなかつたため微速発進し原告車に追突したもので、衝突時の被告車の速度は歩行速度にも満たないもので、双方の車両の損害も判然としない程度の極めて軽微なものにすぎず、原告主張の傷害が発生することはありえない。仮にその主張の傷害が存在したとしても本件事故との関連性はない。

二  同二項のうち、(1)ないし(5)の事実は否認し、同(6)の事実中原告の訴訟委任の事実は認めその余は不知。

原告には治療も入院の必要性もなかつたものである。

三  同三項のうち、原告が自賠責保険より一二〇万円の支払を受けた事実は認め、その余は争う。

第四証拠関係

証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録各記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  昭和五六年一〇月七日午前七時五〇分頃、北九州市八幡東区大谷一丁目三番四号先交差点(以下本件交差点という。)付近道路上において、停車中の原告運転の原告車に被告運転の被告車が追突したことは当事者間に争いがない。

二  そこで本件事故の態様並びに程度について検討する。

前項争いのない事実に加うるに、成立に争いのない甲第一号証、乙第一ないし第五号証、同第六号証の一ないし六、同第七・第八号証、原告及び被告各本人尋問の結果(但し原告については後記措信しない部分を除く。)並びに福岡地方検察庁小倉支部に対する調査嘱託の結果によれば次の各事実が認められ、原告本人尋問の結果中右認定に反する部分は前掲その余の証拠に照らし措信できず、その他右認定を左右するに足りる証拠はない。

1  原告及び被告は、それぞれ原告車及び被告車を運転して、いずれも大谷インター方面から春の町方面に向つて本件交差点にさしかゝり、同交差点より右折しようとしたが、対面信号機が赤色であつたため、右折車線に入り同じく信号停止していた他の三台の車両の後にまず原告車が、続いてその後方二・七メートルの地点に被告車がそれぞれ一時停止した。

2  原告は、一時停止後サイドブレーキを引き、道路が下り坂であつたので右足でフートブレーキを踏み、ハンドルを両手で握り進路前方を真直ぐ見たまゝ背すじを伸ばしていたところ、停止後約六、七秒の後被告車に追突された。

3  一方被告は、一時停止してサイドブレーキを引いた後、助手席の方を向いてそこに置いていた当日の仕事の打合せ予定の書類を見ながらこれに気を奪われていたところ、サイドブレーキの引き方が確実でなかつたため、被告車が路面の下り勾配に従つて動き出し、そのまゝ原告車に追突するに至つたが、被告は右追突するまで被告車の発進に気づかなかつた。

4  右衝突のシヨツクにより、原告は頭を後方に振りヘツドレストに当て、その反動でいくらか前方へも振つたが身体を両手で支えていたためフロントガラスには当らなかつた。

一方被告は、同じく衝突のシヨツクではじめて追突したことを知つたが、フロントガラスやダツシユボード、又は背もたれなどに頭を当てたり、ハンドルにひじを当てたりなど、身体を車体のいずれかにぶつつけることはなかつた。

5  原告は、衝突の直後、後方をふり返つてみると被告車が停止しており被告が直ちに下車して来なかつたので原告の方が下車して被告車までゆき、被告に対して「どこを向いて運転するんか。」と文句を云つた。

しかし、事後の処理については、被告が仕事中で急いでおり、双方車両の損害も大したことはなく、原告の身体にも異常がなかつたので、後刻原告の工事現場で会うこととして、原告は工事現場である同区内の静の井旅館にゆき、同日午前一〇時頃同所に迎えにきた被告と共に警察に事故の届出をなしひきつづき警察官の実況見分に立会つた。

6  原告車は本件衝突時も殆んど移動せず被告車は原告車と接触した状態で停止しており、又、衝突の結果、被告車は左前ボンネツトがわづかにへこんだが三年後である昭和五九年九月に買替えるまで修理することなく使用され、原告車に至つては左後部ボデーによく注意しなければ判別できない程度の擦過痕が数條みられるのみであつた。

なお本件事故現場の路面は、平坦なアスフアルト舗装で、原・被告車の進行方向に向つて一〇〇分の二の下り勾配があり、当日は雨のためぬれていたが、事故の約二時間後に行なわれた実況見分時には路面にスリツプ痕は認められなかつた。

7  被告は、安川工事株式会社に勤務し、昭和五一年に運転免許を取得して安川電機の製品の据付等の仕事に従事しているが、バイクによる一旦停止義務違反が一回ある外は道路交通法違反はなく本件まで交通事故を起したことはなかつた。

又、本件事故については、被告は刑事処分及び行政処分のいずれも受けていない。

三  前項認定の事実によれば、本件事故は専ら被告の過失により発生したものであるから、被告は右事故により生じた原告の損害につき賠償責任を負うものというべきである。

四  そこで以下原告の損害について検討する。

前掲乙第八号証、成立に争いのない甲第二号証、同第三号証の一・二、乙第九号証、同第一一・第一二号証、同第一三号証の一ないし五、同第一六・第一七号証、原告本人尋問の結果により成立を認められる甲第四号証の一ないし三、証人長崎義雄の証言、並びに原告及び被告本人尋問の結果によれば、次の各事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

1  前記実況見分終了後の前同日午前一一時頃、被告は念のため原告を事故現場近くの島田医院で受診させたところ、レントゲン撮影の結果は異常なしとのことであつたが、原告が頭痛を訴えたので同医院では夕方まで様子をみて直らねばもう一度来るように指示した。

2  その後原告は帰宅したが、まもなく近くの長崎医院を訪れ長崎義雄医師に対し頭痛、眩暈、頸項部の運動痛、両肩甲部の重圧感、を訴えたので、同医師がイートンテスト、ライトンテスト、スパーリングテストを試みたがいずれも陰性であつた。しかしレントゲン撮影の結果、同医師は、第三、第四頸椎間に軽度の後弯角状化を認め、外傷性頸部症候群(鞭打ち損傷)により全治迄約一〇日間を要する旨の診断(乙第九号証)をなし、原告に対し、車で仕事に行けば又事故を起したらいかんので今日は様子をみるように申向けかつ入院を勧めた。

3  原告は、本件事故発生の日である昭和五六年一〇月七日から同年一一月三〇日まで五五日間長崎医院に入院し、翌一二月一日から昭和五七年二月一五日までの間に実日数四三日間同医院に通院して治療を受けた。

原告は、右入院の日から同月一九日まで頭痛や眩暈を訴えつゞけ、同月八日からは腰痛及び両上肢のしびれを、同月一九日からは頸項部より肩甲部にかけての「凝り」を訴えるようになり、昭和五七年二月一五日の治療終了時まで右「凝り」としびれ感の訴えは続いたまゝであつた。

4  右原告の入院、通院の間なされた治療内容は、内服薬、屯服薬、外用薬の投与、静脉内注射、超短波治療、介達牽引、ゼラツプ貼用、ホツトバツク等がくり返されている。そして右の治療費についてみると、右入院期間五五日分及びその後昭和五七年一月三一日までの間の通院実日数三三日間の分は自由診療によつたため一〇九万八一四〇円(内入院料が六六万円である。)、同年二月一日から同月一五日までの分は国民保険により三割の自己負担で一万七八〇七円となり合計一一一万五九四七円を要した。

5  原告は本崎工務店の屋号で建築請負業を営み、従業員は常傭が三名、外に七、八名の臨時従業員を使用し、本件事故の三か月前から株式会社アトリエイフの専属として仕事をしており、事故前の収入は月額六〇ないし七〇万円であつた。

本件事故当時、原告は前記静の井旅館及び小倉北区毎日会館前のレストラン「ローゼン」の各内装工事並びに同区の河内邸の増改築工事をいずれもアトリエイフの下請として施工していた。

6  原告は本件事故前は、従業員に対する仕事の指図や材料の手配をする外自らも工事に従事していたが、本件事故後、入院中は従業員に任せざるを得なくなり仕事の指図は電話による連絡や夕方病室において行ない、退院後は通院中から工事現場に行つたが自ら力仕事はしていない。

なお、アトリエイフは、経営不振のため既に昭和五六年八月にはその代表者が失踪しており、同年一二月一〇日には第一回の手形不渡りを出し、同月一五日には手形取引停止処分をうけその頃倒産して、原告も工事代金として受取つていた手形が不渡りとなつて約八〇〇万円の損害を受けた。

なお前掲甲第二号証(昭和五七年二月一五日付長崎義雄作成の診断書)には「『イートン『ライト『スパーリングテスト陽性にして」との記載があり、前掲乙第一二号証(診療録)一〇月九日欄には右各テストの記載がある(但しテストの結果についての記載はない。)。そして証人長崎義雄の証言によれば、右各記載はいずれも同一機会の、自賠責保険に対する診療報酬請求時である昭和五七年一月二三日頃記載したものであり、診療録には右記載の外右各テストについての記載はないが、初診時否定された各テストの結果が翌日陽性に変わつた旨供述している。しかし成立に争いのない甲第五号証の一・二によれば、長崎医師は右各テストを鞭打ち症診断の要素として重視していることが窺われるところ、そのようなテストの結果が陰性から陽性に変化したことは診断・治療上重大な事情の変化であり、前日陰性の記載があるにもかゝわらず翌日他の症状についての記載をしながら右重大な変化の記載がなされないことは考えられず、再度右各テストがなされたかは極めて疑問といわねばならない。

五  次に被告は、原告主張の傷害と本件事故との因果関係並びに入院の必要性をも争うので検討する。

(一)  まず鑑定人江守一郎の鑑定の結果によれば、

1  前記第二項1ないし3の認定事実を前提とするとき本件事故における衝突時の被告車の速度は時速約二・五キロメートル、原告車に加わる衝撃の強さは約一五〇キログラムで右衝撃により原告の頸部が後方に回転する角度は約五度又はそれ以下であること、

が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(二)  次に前掲乙第一三号証の一ないし五、成立に争いのない甲第六ないし第八号証、乙第一四・第一五号証、同第一八号証、証人小野哲男の証言並びに鑑定人小野哲男の鑑定の結果によれば次の各事実を認めることができ、証人長崎義雄の証言中右認定に反する部分は採用せず、その他右認定を左右するに足りる証拠はない。

1  頸椎の運動領域として、屈曲は下あごが前胸部に当るまで、伸展はあごの先端が水平線から三〇度位上まで後に反ることができる。

そして鞭打ち損傷は右頸椎の捻挫であつて、頸椎の周辺の軟部組織の損傷を主体としたもので、骨の損傷を含まず、頸椎の生理的な右屈曲・伸展の限界をこえる過屈曲・過伸展の状態を強いられるような外力(外傷)が加わつて生じるものであり、一般的には作用した外力の大きさによつて損傷の程度がきまるといえる。

2  頸椎捻挫の診断のポイントは、レントゲン上骨折・脱臼がなく、頸椎周辺の軟部組織特に筋肉の攣縮、硬結が強く頸椎の可動制限があることであり、その診断方法としては、患者の愁訴の外スパーリングテスト、手足の腱反射、知覚障害、手の筋力、握力が考えられるが、スパーリングテストも患者が症状をいつわることは可能である。

3  また頸椎捻挫は、外傷性のものであり軟部組織の損傷であるから、通常は二、三週間ではれとか痛みはとれ、治療すれば軽減してゆくものであり、非常に長期間症状が持続し軽快しないものはほかの外傷ないし原因によるものと考えるべきである。

4  長崎医院で撮影された原告のレントゲン写真でみる限り、角状化(椎間の拡大)も正常範囲をこえるものではなく、また、右写真には原告の第三ないし第五頸椎の椎体後側方には骨棘形成が認められるが、右骨棘は一時的な外傷により生じるものではなく、一般的加令或いは右部分に対する長期間にわたる重い負荷(例えば、肩に荷を担ぐ大工とか沖仲仕など重い肉体作業)によつて生じたものと考えられ、右骨棘は頸髄神経を刺激する可能性があり、その結果としてその知覚領域(第四頸髄神経については首のつけ根、背中の肩の内側、鎖骨部分、第五頸髄神経については肩から上腕部分、三角筋等)に痛みとしびれ感、運動麻痺が起こることが考えられる。

5  また入院を求める基準としては、常時病気の推移を観察する必要のあるもの、又は入院しなければできない治療行為(例えば手術等)や特殊な薬物の投与(副作用の大きいもので注射後の変化をみる必要があるもの)等が考えられ、頸椎捻挫の場合は、特に疼痛が強く嘔吐を頻回にくり返すとか、頸椎だけではなく頭蓋とか脳の方の損傷も疑えるような重篤な状態のときに限るべきであり、病状もないのに予測で入院させる必要はない。

前記三項4の治療内容であれば通院でも可能なもので入院の必要はない。

(三)  右(一)の1、(二)の1ないし4の各事実に、前記二項の1ないし7、同四項の1ないし4の各事実を総合すると、原告主張の傷害は殆んどその愁訴に基づくものでその存在が疑わしいのみならず、未だ頸椎捻挫その他本件事故に基づくものと認めることができず、右(二)の6の事実からは入院の必要性は認められずその他入院を必要とする事情の存在を認めるに足りる証拠はない。

六  もつとも心因性のものであつたにしろ、原告が本件事故後頭痛を覚え医師の診断を受け、またその診断確定のための相当な期間治療を受けることはやむを得ないとも考えられるが、仮にこれを本件事故による損害とみるとしても、本件においては右治療の限度は一〇日間をこえない通院加療を限度とするのが相当と解すべきところ、原告が本件事故の損害賠償として自賠責保険から一二〇万円の支払を受けたことは当事者間に争いがなく、前記自由診療に基づく治療費のうち入院費を除きかつ入・通院日数八八日で除すると一〇日間の治療費は約五万円であり、通院一〇日間の慰藉料としても五万円を超えないものと解され、通院交通費及び休業損害をその主張のとおり認めてもその合計額はなお前記一二〇万円に満たないことは明らかであるから、その損害はすべて填補されているものというべきである。

七  以上認定説示のとおりであるから、その余の点につき判断するまでもなく、原告の請求はすべてその理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 渕上勤)

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